今回ご紹介するのは『雑学×異国×ご褒美』
気品に溢れた悲劇の王妃マリー・アントワネットが愛したお菓子になります。
皆さんこんにちは。
“ご褒美提案人*雨降りソーダ”と申します。
マリー・アントワネットと言えば…
「パンがなければ、お菓子を食べたらいいのに」で有名ですよね。
ところが、この発言はマリーのものではないことが判明しています。
それどころか、母親へ送った手紙には「パンの値上げで庶民が苦しんでいるので、祝典はささやかなものにします」と綴っています。
飢饉の際に、子どもの宮廷費を削って寄付をしたり、貴族たちから寄付金を集めたりと、国民思いの一面を見せているのです。
それではマリー・アントワネットはどんな人物だったのでしょうか。
彼女が愛したお菓子とともにご紹介したいと思います。
前記事もよろしければ見てください。
- チャーミングで音楽好きな女の子“マリー・アントワネット”
- 14歳の時にルイ16世と政略結婚
- 豪華なパーティや贅沢な生活に隠される理由
- 良き母親でもあったマリー・アントワネット
- アントワネットの名を騙った首飾り事件
- ヴァレンヌ逃亡事件
- 最後まで気品高く生きた王妃
チャーミングで音楽好きな女の子“マリー・アントワネット”
マリー・アントワネットは、神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女大公マリア・テレジアの11女としてウィーンに生まれます。
ドイツ語名は、『マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン』
フランス語名は、『マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌ・ドートリシュ』
どちらも凄く長いです。
幼少期はチャーミングでお転婆な女の子で、ダンスや楽器が得意だったとのこと。
ちなみに、音楽の先生は《精霊の踊り》で有名な作曲家のグルックでした。
音楽が得意になるのも納得ですね。
幼少期から愛した素朴なお菓子『クグロフ』
派手なイメージのあるアントワネットですが、幼少期から好んで食べていたのが『クグロフ』とという素朴なお菓子です。
クグロフは、フランスのアルザス地方の郷土料理になります。
焼き菓子として見ることの多いクグロフですが、アルザス地方では日曜日の朝に食べるパンとして作られていたそうです。
クグロフの中にはアーモンドやレーズンが入っていて、食べる前に粉砂糖でお化粧をしますよ。
素朴でありながらも可愛らしい見た目ですよね。
アントワネットはウィーン生まれですが、お父さんがアルザス地方の生まれだったこともあり、幼少期からクグロフを食べていました。
フランスの王室に嫁いでからも、毎週欠かさずにクグロフを食べていたそうです。
14歳の時にルイ16世と政略結婚
アントワネットは14歳の時に、フランス国王ルイ16世と結婚をします。
しかしながら、この結婚は恋愛結婚ではなく両国の同盟強化のための政略結婚…。
ともに好意はあり慕っている関係でしたが、アントワネットは14歳でルイ16世は15歳。
互いの気持ちを通わすことは難しく、夫婦仲はよくありませんでした。
嫁いでも食べたい『バニラキプフェル』
バニラキプフェルは右下の三日月型のクッキーになります。
アントワネットは、嫁入りのときにお菓子職人を連れていきます。
『他国に嫁いでも好きなお菓子を食べたい』というお菓子に対する意思の強さが伝わってきますね。
バニラキプフェルはウィーンの伝統菓子で、ナッツの良い風味と、ほろっとした口溶け食感が特徴の焼き菓子です。
アントワネットは生まれ育ったウィーンのお菓子『バニラキプフェル』をこよなく愛していました。
キプフェルは三日月型のお菓子やパンのことを指すのですが、三日月のパン…。
三日月型というと、クロワッサンを連想されるのではないでしょうか。
実はアントワネットお抱えのパン職人が三日月型のパンを作り、フランスに伝えたことでクロワッサンは広まったのです。
今まで何気なく食べていたのですが、一気に重みが増しますね。
豪華なパーティや贅沢な生活に隠される理由
アントワネットは夜になると綺羅びやかなパーティを開き、贅沢な生活に溺れていたと言われています。
「そんな生活してみたいな」と思うのですが、彼女は素朴なお菓子クグロフが好きでした。
なにか違和感を覚えますよね。
実は、アントワネットは少数の貴族達と親交を深めていたこともあり、仲間に入れない多くの貴族から反感を買う日々を送っています。
また夫婦仲が良くなく世継ぎも生まれなかったことから、根も葉もない噂を市民に言いふらされたり、誹謗中傷を受けていました。
夫に相談できる仲だったら良かったのですが、若い女の子に多くの誹謗中傷に耐えられるだけのメンタルがあるのでしょうか。
夜になると豪華なパーティを開いたり、賭博や贅沢な生活に溺れていたと言われていますが、慣れないフランス王室生活や多大な中傷被害によるストレスを考えると…
豪華な生活は彼女なりのストレス発散方法だったのではと思います。
また、アントワネットの感性は近代的でファッションリーダーとしても有名でした。
髪を高く盛ったり、頭に船の模型を乗っけたりすることで、周囲の視線を惹きつけていたそうです。
お金持ちによる盛大なマウンティング行為だったのでバッシングする人たちもいましたが、自分の好きなことで威厳を保つ強さは見習いたい所でもあります。
良き母親でもあったマリー・アントワネット
マリー・アントワネットとマリー・テレーズ王女、ルイ・ジョゼフ王太子
アントワネットは子どもを授かると、今までの浪費家が嘘だったかのように賭博をやめます。
自分の豪華な生活のために子どもたちを放置するのではなく、愛情たっぷりに子どもたちを育てる良き母親だったのです。
それどころか、無人のプティ・トリアノン宮殿をあたえられてからは、家畜用の庭や農場を増設して子どもたちと田舎でのどかな暮らしを始めます。
また宮廷の貧困者のためにカンパを募ったり、子どもたちの玩具代を削って寄付金にあてたりと、国民思いの行動も行っています。
豪華絢爛な生活を送る芸術肌の彼女でしたが、その中身はとても慈悲深い一般的な感覚を持ち合わせた女性だったのかもしれません。
ティータイムにもぴったりな『焼きメレンゲ』
アントワネットは『焼きメレンゲ』も好きでした。
焼きメレンゲとは、卵白とお砂糖を泡立てメレンゲ状にしたものを焼いたお菓子になります。
薔薇などの綺麗な花々が咲くプティ・トリアノンの庭で、優雅に焼きメレンゲを食べながらティータイムをしているアントワネットが浮かびます。
彼女は、焼きメレンゲにクリームをつける食べ方が好きだったと言われています。
メレンゲ菓子にクリームをあわせるという発想はなかったので、機会があったら試してみたいです。
アントワネットの名を騙った首飾り事件
アントワネットが25歳の時、フランスで詐欺事件が起きます。
詐欺の犯人はラ・モット伯爵夫人。
王室御用達の宝石商から買った首飾りを、出世を望んでいたロアン枢機卿に買わせ、アントワネットに渡すと偽り、騙し取るという騙り詐欺をしました。
もちろんアントワネットは全くの無実だったので裁判を起こすのですが、ラ・モット伯爵夫人が有罪になったことで、アントワネットとラ・モット伯爵夫人は愛人関係(レズビアン)だったと事実無根の噂が広まってしまいます…。
「パンがなければお菓子を食べたらいいのに」の『ブリオッシュ』
こちらも事実無根の話です。
「パンがなければお菓子を食べたらいいのに」
冒頭でもご紹介しましたが、これはアントワネットの発言ではありません。
では一体、誰の発言なのでしょうか。
実は、フランスの哲学者ルソーの『告白』という自伝に、この言葉は出てきます。
本には、【百姓どもが食べるパンがないというと、ある王女が「パンがなければお菓子(ブリオッシュ)を食べたらいいのに」と言った】と書かれています。
※お菓子と訳されることが多いのですが、正確には『ブリオッシュ』です。
ブリオッシュは、お菓子ではなくバターや卵を使った甘い菓子パンになります。
これが後にアントワネットが言ったと誤解をされるのですが、当時アントワネットは9歳なので、まだ結婚の話はきていません。
つまり、ウィーンにいる彼女がフランスで発言をすることは不可能なので誤解だったということがわかります。
そして、この発言はルイ16世の叔母にあたるヴィクトワール王女説や、同じく叔母にあたるソフィー王女説があります。
発言の真相はわかりませんが、アントワネットを妬んでいた貴族たちが作り話として広めたと言われているので、恐ろしいですね。
現代においても、他人から聞いた噂には気をつけたいものです。
ヴァレンヌ逃亡事件
ヴァレンヌからパリへ連れ戻される国王一家(1791年6月25日)
民衆の不満は爆発し、革命派の暴動は激化していきます。
危機を察知したアントワネットは、ヴァレンヌ(フランス)を逃亡して、国外に逃げようとします。
ルイ16世と別々に逃亡をするように助言をされますが、アントワネットは家族全員が乗れる馬車がいいと譲りませんでした。
家族全員が乗れる馬車に、豪華な身の回りの品々や大量の食料を詰め込み出発をします。
これが原因で馬車は遅れ、身元がバレてしまい逃亡は失敗に終わります。
甘いお菓子にもぴったりな紅茶『NINA'S』
騙り詐欺、からの勝手な誤解、さらに逃亡失敗…。
悲劇としか言いようがない展開に心が痛みますね。
次がラストになるので、一旦気持ちを切り替えましょう。
甘いお菓子が続いたので、アントワネットの名前がつけられたフレーバーティーはいかがでしょうか。
フランスの紅茶メーカーNINA'S(ニナス)は、かつてルイ14世のお気に入りだった香水商でした。
そのため、ヴェルサイユ宮殿の敷地内にある王立農園で香水を作ることが許されていました。
この『マリーアントワネット』と名付けられた紅茶には、アントワネットが愛した薔薇と、王立農園で育った手摘みのリンゴが使われています。
香水作りのノウハウが活かされた紅茶なので、気高い良い香りを楽しむことができますよ。
最後まで気品高く生きた王妃
逃亡が失敗したことで、王家は信頼を失います。
そして、ルイ16世とアントワネットは死刑を告げられました。
ルイ16世が先に処刑をされた後、アントワネットも死刑の日を迎えます。
マリー・アントワネットは義妹エリザベートに最後の手紙(遺書)を綴っています。
犯罪者にとって死刑は恥ずべきものですが、無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではありません。
子どもには私たちの死に対して復讐しようなどという気を絶対に起こさぬよう伝えてください。
大した女性ですよね。
悲しいことにこの手紙はエリザベートに届くことなく、エリザベートも後に処刑されてしまいます。
こちらは死刑台にむかうアントワネットが描かれています。
白いドレスに身を包み、今から処刑をされるとは思えないくらい、美しく堂々とした姿です。
アントワネットは、悪く言われることも多く、実際に彼女に非があったことも事実だと思います。
しかしながら、彼女を妬む人たちが悪い噂をばらまいていたり、誤解が広まってしまっていたことも事実です。
今回この記事を通して、アントワネットの意外な一面をお伝えできていたら幸いです。
特別なチョコレート『ピストル』
最後は、アントワネットが愛した特別なチョコレート『ピストル』をご紹介です。
アントワネットは薬が苦くて飲めませんでした。
そこで、王室薬剤師でありチョコレート職人のスルピス・ドゥボーヴに相談をします。
ドゥボーヴは、チョコレートに薬を包み込むことを考えました。
そうして出来上がったのがピストルです。
ちなみにピストルの名付け親はアントワネットだそうです。
昔はホットチョコレートが主流だったので、ピストルは固形チョコの先駆けでもあります。
召し上がる際は、噛まずにゆっくりと舌の上で溶かしながらお楽しみください。
まとめ
お気に入りの“ご褒美”には出会えましたか?
この「ほぼ日、ご褒美」ブログは
私の好きなもの、オススメなもの、興味のあるもので
皆さんにも息抜きと癒やしの時間を提供できたらいいなと思い始めました。
色んなジャンルのご褒美を扱っていきますので
ご褒美を選ぶお手伝いができたら幸いです。
心が華やいだ時、心に雲がかかった時
晴れやかな気持ちの時、気持ちに色がなくなった時
いつでもふらっと立ち寄ってください。
今日も素敵な貴方にぴったりのご褒美がみつかりますように*゜
ご褒美提案人、雨降りソーダ。